地域のはなし ~高円寺天祖神社~

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丸の内線東高円寺駅のすぐ近く。杉並第三小学校の北側に『天祖神社』があります。
近くにある氷川神社とあわせて、長く信仰されている旧高円寺村の鎮守様です。

氷川神社について書いています。よろしければご覧ください↓

高円寺天祖神社はどんな神社?

創建は今から約930年前の平安時代中期。

当時この地に住んでいた郷士 山下久七という人物が伊勢神宮に参拝して御分霊を賜り、社殿を建てて祀ったのが始まりです。
その後この地の鎮守となったと伝えられています。
江戸時代には天祖神社ではなく神明社と呼ばれており、1807~1830年に作られた地誌、『新編武蔵風土記稿』にも神明社として記載されています。
明治元年に天祖神社へ改名しました。
*氷川神社は詳細は不明ながら1500年代半ばに創建されたと言われています。天祖神社の方が500年程早くからの鎮守様ですね

高円寺天祖神社

所 在:杉並区高円寺南1-16-19
名 称:天祖神社
御祭神:天照大御神
創 建:1087年(平安時代中期)
例大祭日:9月16日
境内末社:清姫稲荷神社 三峯神社
境外末社:田中稲荷神社

天祖神社と神明社

どちらも天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮の内宮を総本社とする神社。
*天照大御神は太陽を神格化した神様といわれ、皇室の始祖でもあります 日本国民の総氏神様です
弟である須佐之男命の乱暴に耐えかねて天岩戸へ隠れてしまい、世界が真っ暗になってしまったという神話も有名ですね

主に神明神社と呼ばれます。そのほかに、神明宮、神明社、皇大神社、天祖神社、神明社とも呼ばれます。
通称として『お伊勢さん』と呼ばれることも多くあります。

行き方

天祖神社は丸の内線東高円寺駅から、北へ徒歩2分ほどのところにあります。

荻窪方面から電車に乗った場合、降りると北側の改札があります。改札を出て、階段をあがると2番出口に出ます
目の前には青梅街道。その先に蚕糸の森公園があります

出口を出て、左手に見える道を北へ進みます。

左手側に北へ向かう道があります。天祖神社へ行くにはこの道を北上します。角にあるのは大幸住宅 東高円寺店。 ⇒2023年1月、駅前へ移転しました
この通りを北へ。通りの途中にも地下鉄の出入り口があります

二股に分かれた道を左側へ。

途中に東高円寺3番出口があります。天祖神社へ行くにはこの出入り口の方が近いですね。大幸住宅東高円寺店へお越しの際は、ぜひ2番出口から
50mほど進むと二股に分かれます。左の細い道を進みます

更に北上し、小学校を通り過ぎると到着です。

坂を下ると小学校があります。今度は右へ。
見えてきました。
到着です。

境内

・拝殿

正面にある拝殿は1837年に造られたもので、木造神明造り。
築200年の建物ですね
社殿は拝殿・幣殿・本殿が連結した権現造り。

本殿と幣殿は1888年(明治21年)に建てられたものです。

拝殿の奥に見えるのが、幣殿と本殿

幣殿の正面上部には龍、左右には獅子の姿が彫られています。獅子の下には鼻を上げた象も彫られ、凝った造りになっています

・手水舎・狛犬

高円寺天祖神社の狛犬は2体とも親子です。特に右側の狛犬親子は、じゃれる子狛犬を抱き寄せるようなしぐさをしていて、たいへん可愛らしいです。
子連れの狛犬は多くみられますが、阿吽両方というのはなかなか珍しいそうですよ。

渋い建物 現在手水舎は利用できず、消毒液が置いてあります

鳥居をくぐってすぐ左手にあるのが手水舎。
1927年(昭和2年)に社務所と一緒に建てられました。

境内末社

拝殿の左側に末社である清姫稲荷神社と、三峯神社があります。

左側の少し大きくて赤い鳥居があるのが清姫稲荷神社。右側にある社が三峯神社です

清姫稲荷神社アップ

二つ社が並ぶうち、左側の赤い鳥居があるほうが清姫稲荷神社です。
もともとは秩父宮邸の鎮守でしたが、1936年(昭和11年)にこちらへ遷されています。当時の崇敬者に株式仲買人が多かったことから、『財テク』の神様としてお参りする方も多くいるそうです。

境外末社

高円寺天祖神社から北東へ徒歩3分程のところにあるのが田中稲荷神社

受持神をご祭神とする、旧高円寺村の農家の守り神です。

クリックすると拡大します

受持神

保食神とも書きます。読み方はどちらもうけもちのかみ
日本書紀に登場する食物全般を司る神様。稲の神様である稲荷神と同じ神様であるとして、稲荷神社に祀られることが多くあります。

田中稲荷神社のお狐様。感染対策の為マスクをしています。
お狐様は2種類。シュッとした大きいお狐様の前に、小さな狐様がおり、4体で社を護っています。

しっぽが太くてかわいいちびキツネ様
こちらもマスク中

堀之内新道
中野の近くにある石標。隣はセブンイレブン

田中稲荷神社の前の道は『堀之内新道』と呼ばれ、明治になって開通した甲武鉄道(現在の中央線)中野駅から妙法寺までをつなぐ参道です。明治29年に妙法寺の檀家総代であった関口 兵蔵氏が私財を投じて農道を整備し作ったものです。

何故“新道”なのかというと、電車が開通する前に使われていた堀之内道がもともとあったから。
こちらは歩いて向かう為のもので、江戸から青梅街道を通って、現在の新中野にある鍋屋横
から分かれて妙法寺へ向かう道でした。堀之内新道が出来てからは利用者が減り、現在はその一部が和田帝釈天通りとして、帝釈堂を中心とした商店街として親しまれています。

和田の帝釈天様

1000年近い歴史を持つ、高円寺の鎮守様。
住宅街にとっても馴染んだ、明るく居心地の良い神社です。
お近くにいらした際は、のんびりとお散歩しながら訪れてみてはいかがでしょうか。

こちらもご覧ください↓

参考『すぎなみの神社お散歩ガイドブック』

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